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社団法人加古川青年会議所 理事長 畑 公平
このホームページをご高覧下さいました皆様へ・・・
この度は、このホームページへお越し下さいまして、誠に有難うございます。
平素は、社団法人加古川青年会議所の活動・運動に対し、ご理解と多大なるご支援ご協力を頂戴しておりますこと、心より厚く御礼申し上げます。
私は、当青年会議所・本年度理事長を務めております、畑 公平でございます。
さて、時節は9月・長月を迎えました。日照時間が短くなり、夜が長くなる語意から長月の名とのことです。とは言え、まだまだ残暑続きの今日この頃でありますが、ここ数年に掛けて残暑もここまで来ると、それは残暑とは言えず、ただ単に夏が延長されていると言っても過言ではありません。このまま地球温暖化が加速すれば、「残暑」どころか、「長き夏」と変化し、それこそ日本の四季も再編されてしまいます。 ただ、秋の風物詩、夜に囀られる虫たちの声に、日本の四季の移り変わりを憂い感じる今日この頃であります。
さて、先月8月。ひとづくり、とりわけ次代を担う青少年育成に取り組む我々青年会議所において、この「8月」という月は語らずして始まりません。62年前の二度の原爆投下の日、終戦の日、そしてお盆の日、すべてはこの国を創ってこられた先人を想い、敬い、尊ぶということを、次世代に伝えなければならない、決して風化し忘れさせてはならない起源の月であります。
我々は勿論のこと、「戦争を知らない世代」であります。しかし、だからと言ってそのまま過ごすことは出来ません。「戦争を知らない世代」の我々は、「歴史を知らない次世代」を創ってはならないのです。それが我々青年の責務なのです。
私が小学生の頃、終戦記念日の正午には、テレビ越しではあるが黙祷をするものだと親父から言い伝えられ、祖父からは「この日は何も食べずに、水だけ飲んで過ごしなさい」とも言われたことを覚えています。日々ご仏壇に手を合わせ、先祖を大切に想い、そして迎え盆・送り盆とこの時期を過ごしてきました。今何故にこの世に生を受け、存在しているのか等を、よく聞かされたものでした。
そして今は亡き親父、祖父にも毎日手を合わせるのが、私の一日の始まりです。先ず我々自身がその姿を次世代に見せることが必要であります。
そして、まちづくり。8月4日・5日と加古川市民レガッタが開催されました。本年は第14回大会でした。加古川の大河で陽光の下、水面を漕艇する様は、何とも壮大です。加古川市の中央を流れる母なる「加古川」で、市民がこの大河「加古川」と親しむイベントをと市で検討され、1989年に加古川大堰が完成した経緯を受け、水辺の空間を利用し、ボート競技場として使用出来るのではとの想いから、我々の加古川青年会議所の先輩を中心に「加古川レガッタ実行委員会」が発足しました。「加古川」の新たな活用とボート競技を通じて、次代を担う青少年育成と加古川流域活性を図るという趣旨・目的で、「関西学生漕艇秋季リーグ戦」の誘致が決定されました。1996年には、競技コースが社団法人日本漕艇協会公認コースと認定されました。現在は「関西学生漕艇秋季選手権」との名称で、関西のみならず、西日本の大学が参加する大会となっています。そこで、市民も気軽にレガッタというボート競技を楽しもうという気運が盛り上がり、1993年に「加古川大堰まつり大堰レガッタ」が行なわれ、艇庫が完成した翌年から加古川まつり協賛事業として「第1回加古川市民レガッタ」が開催されました。この大会は、高校生ボランティアの皆様にもご協力を頂き、レガッタというボート競技をただ単に楽しむ市民だけでなく、川沿いでバーベキュー等を楽しむ家族や仲間、友人たちの交流の場として東播磨は加古川の夏の1ページとなっています。
さて、私は以前大学卒業後、証券会社で勤務していました。そして、当時同期入社で同じ東京本社勤務だった時の友人が居ます。私は起業したい一心でその職を去り、彼は亜細亜大学でエースを勤めていただけに、子ども達に野球を教えたい一心で、教職の道へと進むため、同じくその職を去りました。彼は今、地元新潟県柏崎市に居ます。その柏崎が7月16日、地震に襲われました。繋がらない電話、メールを続け、ようやく家族を含めた身の無事を確認出来ましたが、家屋も少なからず影響を受けたとのことです。8月末で避難所も全て閉鎖され、この猛暑環境の中、非難を余儀なくされていた方々が、一応に各家へと帰られたとの報道がありました。最多時期には1万2千人を超える方々が非難所に居られたとのことです。阪神大震災を体験した我々としても、そのご苦労、ご心痛は衷心よりお察しする次第であります。
ただ、彼を含めた近隣の方々は、何よりも今、やはり土地柄、柏崎刈羽原子力発電所の動向・影響を気に病んでいます。
テレビ・新聞報道で頻繁にこう言われています。「想定を上回る揺れ」だったと。私はこの言葉を公に発する根拠、心情が私には理解出来ません。その言葉を持って、正当化或いは、仕方が無いとの言い訳をしているに過ぎないのではとも鑑みます。
「想定」とはいったい何でしょうか。辞書で調べると「ある状況や条件を仮に考えてみること」とあります。色々な諸状況を鑑み、稼動や実施に向け万事に備えて企画・立案するのが「想定」ではないでしょうか。つまり「想定を上回る揺れ」ではなく、「揺れを上回る想定」をしてこそ、そこで初めてその語意を成し、そして「想定」の意味を成すことだと考えます。但し、現在のメディアでは、それこそ「想定外」での失態部分を大きく報じるのが悲しいけれども実情かと思われます。危機管理・安全管理など有って当然のこと。その当然の成果などは余り報道されません。良きニュースとして、「かつてない大きな揺れだったが、それをも想定していたため、事故に繋がらなかった」と、地震大国であるこの国・日本が、正々堂々と言い切れる耐震・免震に至る各種整備も、国家火急の問題として避けては通れない現実であります。
さて、8月17日、ニューヨークへと飛びました。旧職の関係でNYSE(ニューヨーク証券取引所)へと行ってきました。翌日、我らが日本代表・松井秀喜選手を応援すべくヤンキーススタジアムへと行きました。13時からのデイゲームで、交通渋滞もなく12時前にはスタジアムに着きました。席に着くとセンターバックのモニターで昨日の試合様相がダイジェストされて映し出されていました。相手はタイガースだったので、日本人からすればいわゆる「巨人・阪神戦」だと、勝手に感じ取っていました。スタジアムは満席。そしてご当地ゆえ観客の約9割と言っても過言ではない、ほぼヤンキースファンでした。日本のスタジアムの様なネットも余り無く、塀も低く、太鼓の音や応援団も居なくて、非常にゆったりと開放された、まさに「ベースボール観戦」を楽しめるパブリックスペースでした。
そんなプレイボール前のひとコマでした。
スタジアムの観客席通路を、販売スタッフが「バドワイザー」「コーク」「ホットドッグ」「ハーゲンダッツ」「ピーナッツ」と数々のドリンクやフードを販売しておりました。特にピーナッツを販売するスタッフは、5〜6メートル位先からでも手を挙げてコールすると、その手に向かって直ぐさまピーナッツが投げられて来る。その仕草自身ユニークですが、その投げるコントロールには驚きでした。掌という小さき的を外すことなく正確・確実に投げられ、移動と同時に近寄って来た時に5$徴収というシステムでした。
私の前席には40歳過ぎの父親と、10歳位の少年が居て、風船ガムを膨らまし合い、その大きさをほのぼのと競い合っていました。グラウンドには選手も登場し、DHながら松井の姿も目にしました。暗黙の了解でしょうか。突如その父親は風船ガムを口から出し、自分の掌に。次いでその手を少年の前に翳すと、少年風船ガムを口から出し、父親が置いたガムの横に自分のガムを置きました。概ね同じタイミングで「バドワイザー」「コーク」「ホットドッグ」「ハーゲンダッツ」の販売スタッフは手を止め、「ピーナッツ」スタッフも投げるのを止め、そして皆足を止め、一方向を見つめました。そして右手を左胸に。グラウンド内の選手も、そして観客全員が同姿勢の中、その時を迎えました。アメリカ合衆国の国歌が、星条旗の揺れる中で流されました。皆がその方向を見つめ、その時を粛々と、そして誇らしげに過ごしていました。何とも感慨深き、そして「強きアメリカ」を痛感したひとコマでした。
アメリカと言う国を愛すること。そして、アメリカ人の誇りでしょうか。自国日本と対比して考えるのは仕方有りませんが、自然な振る舞いの中に在るこの堂々たるこの勇姿、そして誇り。現在の日本人の中に在るでしょうか。或いはもし同じ境遇にあった時、今の日本人の対応・所作はどのようなものでしょうか。 我が国日本では、国旗及び国歌に関する法律、即ち、日本の国旗・国歌を定める日本の法律が制定されています。1996年頃から公立学校の教育現場において、当時の文部省の指導において、「日章旗(日の丸)」の掲揚と同時に、「君が代」の斉唱が事実上、義務づけられるようになりました。しかし反対派は日本国憲法の思想・良心の自由に反すると主張して、当時社会問題となりました。1999年には広島の公立高校で卒業式当日に、「君が代」斉唱や「日章旗(日の丸)」掲揚に反対する公務員である教職員と、文部省の通達との板挟みになっていた校長が自ら命を絶ってしまいました。これをきっかけとして法制化が進んだという、何とも辛い経緯があります。
日本の祝日に「日章旗(日の丸)」を掲揚するのも何の疑問もなく極当然のことですし、多様な場面で「日章旗(日の丸)」を掲揚し、「君が代」を斉唱することは、この国・日本と言う国に生まれた者なら、誇りを持って、行って当然のことではないでしょうか。
我々青年は、そして青年会議所は、そんな日本人の魂(こころ)を取り戻し、次代を担う青少年、そして今からこの日本に、この世に生を受けて来る未来の子ども達に、「この国に生まれて本当に良かった」と言える国を創っていかねば成らないと考え、行動・活動、そして運動しております。
さて、このホームページでも数ヶ月に渡って掲載させて頂きましたが、本年度の当青年会議所では、このまちを更により良きまちにするため、また、このまちの未来を担う青少年育成を進めるために、広く同志である新会員を多く募集して参りました。ただ、その根底には、我々は決して「数」を追い求めているのではなく、多くの数を大きな「力」に変え、来年の大きな節目・創立50周年という「未知なる時」に、その「未知なる力」を持って、「未知なる挑戦」を行おうとする前提があり、そのためにも、我々には、もっともっと青年の「力」を必要としている旨を、重ね重ね文字上ではありますがお伝えして参りました。 そして今、「準会員研修」と称して、初めて加古川青年会議所へと、志を持たれて来られた青年(準会員)の方々を対称に、3ヶ月間の研修を行っています。青年会議所の成り立ちや歴史、理念や目的、そして実際に行うこと等について習得されている真最中です。研修終了後には正会員として、加古川青年会議所の新しい「力」として活躍されることでしょう。乞うご期待であります。
青年会議所において、会員募集に期限はありません・・・
我々は永遠に会員を募集し続け、未来永劫、常に新しい「力」を要しています・・・
もし「青年会議所からのお誘い」や「青年会議所からの入会案内」と遭遇された時、それは、その方にとっての「ひとつの機会」とご認識頂ければ幸いかと思います。
青年会議所は、20歳から40歳までの限られた期間の中、全国各地714箇所・国内会員4万人を有して、ひとづくりやまちづくり運動を展開しており、そのひとつの地域、我が加古川青年会議所は、加古川市・稲美町・播磨町のエリアで活動・運動しております。数々の事業、活動・運動を通じ、他では得られない、一生涯に渡った人生の糧とも言える、様々な経験や人との出逢いが数え切れないくらいに沢山ございます。そして、そこには、それこそ青年が故に「JCの話」「家業の話」「家庭の話」「プライベートの話」も、ざっくばらんに繰広げられますが、何よりも、普段は他人に話せないような相談や悩みごとまでJCの会員間だからこそ話すことが出来たり、皆で解決出来ようことならアドバイスを頂ける等、その場はそれこそ通常では有り難き場所ゆえ、まさに「ありがたい」限りであります。
ただ、その機会は自ずとは巡っては来ないと考えます。是非ともご自身から、先ず機会を掴み取って頂きたく存じます。また、何よりも、このホームページをご覧頂いた方は、ウェブ上とはいえ、何らかの運命的な「縁(えにし)」をも感受致します。
青年会議所にご興味がございましたら、或いは、活動・事業内容や入会に関してのお問合せ等が有られるようでしたら、お気軽にご一報頂ければ幸いです。
9月は台風や雨多き月、そして「食」の月。
日本人の主食「米」の成長をはじめ、八百万の神が宿る各々に、この雨は欠かせません。自然原理に逆らえない中で生かされている我々は、その自然の恵みに感謝の意を忘れてはなりません。
「いただきます」は何をいただくのか。そして「ご馳走さまでした」は、何故に誰に言うのか。
今一度しっかりと見つめ、その大切さを認識し、その上で次世代へと伝えることは、日本という国に身を置く我ら青年の務めであります。
今月も青年として、青年会議所として、次世代社会創造に向け邁進して参りますので、どうぞ宜しくお願い申し上げます。

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